あのフェイ・ウォンに大きな音楽的影響を与えた人物であることで知られる北京出身のニュー・ウェイブ系アーティスト。 ロックバンド「黒豹」のボーカルを務めていたこともあります。その音楽性の高さは、各方面からも注目を集めています。 1988年、ロックバンド黒豹にボーカルとして参加。 1991年、黒豹は《深圳之春現代音楽》演唱会に初参加 1991年、まず香港・台湾でアルバム『K豹』を発表。「Don'l Break My Heart」、「无地自容」などの曲がヒット、K豹は中華圏で最多売上枚数を誇るロックバンドとなる。ただし流行ロックはドウ・ウェイの理想とするところではなく、10月にバンドを脱退。 1991年ドウ・ウェイは新たに「做夢楽隊」を作る。ここで作った「希望之光」は『揺滾北京(北京ロック)』に収録されている。 1992年「做夢楽隊」を脱退。 1994年、アルバム『黒夢』発表。これは做夢楽隊時代に作ったもの。 1995年10月、ミニアルバム『竇唯』、新曲「艷陽天」「窗外」と『黒夢』の「上帝保佑」「K色夢中」の4曲を先行発売。同じ年アルバム『艷陽天』を発表。 1996年~99年、フェイ・ウォンと結婚。この期間はフェイ・ウォンのための曲を作ったり、コンサートツアーに参加してドラムを叩いたりしていた。 1997年1月に赤ちゃん誕生。 1999年3月、フェイ・ウォンと離婚。 1999年、アルバム『山河水』、『幻聴』を発表。 |