中華圏で絶大な人気を誇るシンガーソングライター"マイケル・ウォン(光良)"
マレーシア出身で台湾を拠点に活動し、中華圏で絶大な人気を誇っていた人気ポップ・デュオ「無印良品(ウーインリャンピン)」。デュオは残念ながら解散してしまったが、メンバーはそれぞれのさらなる可能性を試すべく、映画出演や音源制作などで活動の幅を広げていた。その一人である"マイケル・ウォン(光良)""情歌王子(ラブ・ソングの王子様)"と呼ばれ、台湾のみならず中華圏で知らない人はいないほどの人気のアーティストに成長。爽やかなルックスやナチュラルなキャラクターもさることながら、何よりもその甘く、優しく、温かいヴォーカルが男女を問わず幅広い層から厚く支持され、ここ日本でもじわじわと注目を集める存在となっている。
デュオとしての成功、そしてソロ転向
1992
地元のレコード会社と一時契約。
19944
マレーシア初の中国語による聖歌アルバム「我要跟随他 I BELIEVE」を制作。
19952
ある音楽コンテストで台湾の大物プロデューサーのジョナサン・リー(李宗盛)の目に溜まり、ロックレコードと契約。
19958
ビクター・ホワン(品冠)とのデュオ「無印良品(ウーインリャンピン)」のグループ名としてデビューアルバム『掌心』をマレーシアにてリリース。20週間チャートイン、10週間チャート1位を記録。
19965
マレーシアにてセカンドアルバム『多心』リリース。
10
台湾進出を果たし、アルバム『掌心』リリース。
台湾IFPIチャート、Channel[V]マンダリンソングチャート、カラオケリクエストチャートの1位を総なめする。
11
マレーシアの音楽賞で、大ヒット曲『掌心』が作詞賞・作曲賞・最優秀新人など7部門を受賞。
東アジアと東南アジアを中心に全世界の中国系社会で人気を獲得、"マレーシアの国宝級アーティスト"の異名を取る。
19973
台湾にて20ヶ所に及ぶ学園ライブを行う。
5
アルバム『無印良品×2』アジア各国にて同時リリース。
1998
アルバム『無印良品×2』当年度の金曲賞(日本レコード大賞に相当する台湾の音楽最高賞)に最優秀ユニット賞にノミネートされる。アルバム『三人行』リリース。マレーシアのRIMCDセールスチャートベストロングヒットアルバムに選ばれた他のアーティストへの楽曲提供等も多く行うようになる 。
1999
アルバム『想見你』リリース。アジア各国で大ヒット。マレーシア第一回AIM音楽賞最優秀アルバム、最優秀アレンジ、最優秀ユニットを受賞する。マレーシアのRIMCDセールスチャートベストロングヒットアルバムに選ばれた。
2000
「無印良品(ウーインリャンピン)」が解散を正式発表。同時にベスト盤『珍重無印良品』リリース。マレーシアのRIMCDセールスチャートベストロングヒットアルバムに選ばれた。226日に台北、415日にマレーシアでさよならライブを行う。
2001
ENCORE MUSIC」音楽学校の社長として、新人ミュージシャンの育成にも力を注いでいます。
5
ファースト・ソロ・アルバム、フィーチャートラック『第一次』によるアジアで予想以上の大反響となり、大ヒットを記録!
2002
11
セカンドアルバム『光芒』リリース。自作曲6曲を収録しているほか、第1弾フィーチャートラック「握你的手」は、マイケル・ウォンお得意の切ないラブ・ソング。台湾でチャート1位を獲得し、20万枚を突破したほどで、明されました。アジアでも大ヒット中。
20051
2年振りにリリースされたニューアルバム『童話』は、発売1週目から競合アーティストを軒並み抑えて各音楽チャートの1位を独占し続けた。アジアでも120万枚記録的な売り上げとなり、2年振りの音楽活動休止を物ともしない人気と実力を証明した。